情報とは? 社会心理、デマ、落とし穴、正義

情報、それは、例えば国政にどのように影響を与えるか、国民の意思、意図、判断が形成、構成されていく過程においての、それ、情報とは何かを問うものである。
                         (参照キーワード、脳の情報処理は先読み)
西山事件(にしやまじけん)とは、沖縄返還協定を巡って1972年に外務省の機密文書漏洩の疑いで毎日新聞社政治部の西山太吉記者と外務省の女性事務官が逮捕された事件。沖縄密約事件、外務省機密漏洩事件ともいう。報道の自由について、いかなる取材方法であっても無制限に認められるかが裁判上の争点となったが、西山に懲役4月執行猶予1年、女性事務官に懲役6月執行猶予1年の有罪が確定した。30年後、米国外交文書の公開で、当時の外務省・大蔵省高官の偽証と、検察官の証拠隠しが明らかになったため、国家賠償請求裁判が提起されている。

人々は日々の暮らしの中で、自己の満足度を高めるインセンティブが働く(1)と同時に、不満の捌け口を求める。このふたつの要因により、一つには自己の意思遂行に有利になるように、周囲を影響下に置きたいと考えそのための情報操作(取捨選択)を行う。また、不満の捌け口として、ネガティブ情報を取捨選択し、その賛同者を得たいと願う。
 このような個人の営みは、情報入手の限界によって制約されている。すなわち個人の取得可能な情報はあらかじめ発信主体、例えば、行政や経済界トップ層の意向に沿って取捨選択され、リリースされる。そうした情報源の限界を、本来、ジャーナリストが探求して、専門的資質により、情報源の相互関係を分析、隠された本質に迫る役割がある。しかし、ジャーナリストの困難は、その経済的地位などにより、社会的信用を低下させている。このジャーナリストの地位の向上に何かが必要である。当然、言論の質により、到達されなくてはならない。
                                   注(1)収集・選択

 さて、人々の「欲しい」情報は、【欲しい】という動機そのものが、既に、社会、メディアの影響下にあり、特にメディアは、記号化し、単純化し、わかり易い形に変えて【情報】を提供する。このため、社会が発しているリアルな情報に対し、人々のセンサーは曇ってしまっている。・・・・・

 また、労働する人として位置づけられた、産業革命以後の社会では、人々は時間概念の下に個々の固体の事情には配慮されず、明日の仕事のために、食べなければならず、寝なければならず、健康に気遣うことが要求された。欲望さえも、この産業社会の構造にフィットすることを要請された。そして、商品やサービスを供給する産業は、購入側にたつ消費者、労働する人々、産業社会の部品たる人として対峙する。
ソフトな拘束関係として、自己決定権を留保し、自立判断として消費、購買を行うよう、PR,広告、映像や記号の機能を駆使して、「欲望」をも与える。
 そこまで、決め付けないにしても、階級社会、血縁、地縁、経済的縁によって世襲される仕組みは脈々と行き続け、覇権を持ち続けている。
 ブランド戦略と言う。ブランドとは、新興宗教、現代世紀的な宗教、西欧キリスト教、仏教、イスラム教をひっくるめてゆるやかにそのブランドのベールを覆いかけて、無意識的判断、徐々に、影のように忍び寄り、皮膚から浸透し、血に溶け込み、細胞膜をとおり、DNAに刷り込み、ニューロンの興奮を起こす。そうした情報。人々が浴する情報が産業社会、生産、生産効率、資本効率利潤の追求、に通じる道。資源を求め、掘り起こし、金貨に代え、欲望と言う熱病を蔓延させ、世界を、宇宙を、時代を支配する。
 さて、そのような時代、別の道は可能か?

格差社会とは、富める者は富み、そのための手段として能力に乏しい者を踏み台にする権利があるとの公のお墨付きを与えた社会。

格差が広がり、不公平な社会になるとどうなるか。階級がどのような人間関係、社会を生み出すか。階級が明確に分化し、人間の尊厳や権利などの国家運営上の制度が、日常のこの階級社会で、人々はどのように吸収するのだろうか。結婚などの家族、血縁関係や師弟教育の際の学校選びなどを経て、代々継続した身分として固定する。産業社会がもたらした、(一般)市民、は資本家、経営者、労働者で構成される、生産構造社会として機能してきた。その過程は、生産効率を基準とする、分類であった。このことにより、国王と武士、農民の身分分類は意味を失った。なによりも人々の資質による分類が生産効率の面で重要であった。この歴史的変遷の後に、今、新たな身分分類化の進展は始まったのだろうか。
200611060926