マスコミと公共、正義、規制緩和、情報、欠点

 巨大マスメディアの弊害: 便利で無料でわかりやすい情報が多くの人々の間にに蔓延した現代社会は、情報操作が容易であると同時に、勢いを持つ”世論”として、民主主義を装って真の情報や価値ある情報を駆逐する。

 朝日新聞記事であれ、NHKニュースであれ、そこに掲載、放送される内容は、様々な視点からの評価、吟味をしたものとはなりえない。大げさに言えばひとつの見方、捉え方に過ぎない内容が、マスコミという巨大な仕掛けによって、世の中に洪水のように撒き散らされ、人々はその洪水に溺れる(鵜呑みにする)。結果、多様な見方から自分のスタンスで評価するべきところを、マスコミスタンスに右倣えで自分を見失う人々が増殖する。一見方としての整合性、説得力があるとしても、すべての事柄は複雑に関連しあっている。相対的に見ると、一見方というのは、創造的でもなく、解決的でもなく、単に、事実、意味を持たない事実としてのみ残る。意味を持つのは、マスコミによって多数派の見方、という結果となることによって、社会全体の方向付けや選択の正当性の証拠として提示されるときである。
 このことは、とにかくもある事実を、他との関連と切り離し、その事実だけをしつこく幅広く繰り返し発信、放送、報道することで、人々のなかに事実として刷り込めば、その事実は巨大な力を持ち、発揮する。
 数年来の報道と政策動向を照会すれば、そのことがよくわかる。
 「公共放送」しかり、「規制緩和」しかり、「正義」しかり。